どうして私のパスポートを見せることが必要ですか?

―日本人の単一民族観―

尤 銘煌 先生

「すみません、今日1泊予約してあるのですが・・」「お名前は?」「ゆう みんほあんと申します」「パスポートを見せてください」「どうして、私のパスポートを見せることが必要ですか。どうして私を、外国人であると判断したのですか?」、「無言・・・」

日本国内の出張の度に、ホテルでチェックインする際、毎回「パスポートを見せてください」とフロントで要求される。山形から長旅の末、やっとホテルに辿り着き、早く疲労困憊した体を癒したいと思っているのに「パスポートを見せてください」と言われると一瞬頭に血がのぼる。「どうして、私のパスポートを見せることが必要ですか。田中さん(仮名)あなたは、国内旅行でもパスボートを持ち歩きますか?どうして私を、外国人であると判断したのですか?」。若いフロント係だと、「私が日本に来た時には、田中さん(仮名)は、まだ生まれていないですよ」と付け加えたりした。最近は、そのようなことを言うのもさすがに疲れてきたので、「私は、日本人です」と一言で済ますことにしている。

山形大学で担当している「多文化交流」の授業の冒頭で「日本人ですか、外国人ですか」というテーマで学生に講義することにしている。従来、日本人の定義は、「血統」、「教育 · 文化背景」、「国籍」が三要素とされている。特に、「血統」が重視されている。 日本には、純日本人以外に「日系一、二、三世」、「在日韓国人」、「中国残留孤児」、「帰化者」、「帰国子女」、「ハーフ」、「永住権を持つ外国人」、「外国人観光客」、「留学生」、「日本企業などで働いている外国人」などさまざまな人種が暮らしている。一般論では、「日系一、二、三世」は、「血統」は日本となっているが、「教育 · 文化背景」と「国籍」は、日本ではない。「在日韓国人」の「教育 · 文化背景」は、日本となっているが、「血統」と「国籍」は、日本ではない。また、帰化者は、「国籍」と「教育 · 文化背景」は日本となっているが「血統」は、日本ではない。

もっと細かく言えば、皮膚の色、名前、服装、言葉、マナー、歩き方、食べ方なども日本人か外国人かを判断する材料の一つである。判断材料が複雑化してきた現代の多文化社会では、単純に「血統」、「皮膚の色」、「名前」のみで判断することは、しばしば誤りとなる。日本の、「単一民族」という神話的な言い方は、遠い昔から存在してはいなかった。

2008年に台湾のアカデミー賞と言われる「金馬賞」の開幕前に、優秀映画製作者賞をノミネートした金城武は日本の国籍を持っていることを理由に受賞を除外された。金城武は、台湾(台北)に生まれ、日本の父と台湾の母を持つハーフである。小学校から高校まで、台湾の日本人学校とアメリカンスクールに通った。日本語、英語以外に中国語、台湾語と香港語は、ネーティブ並である。つまり、金城武の顔のみで判断するとアジア系の人であるが、使う言葉によってアメリカ人、中国人、台湾人、香港人などにも変身できる。最終的に映画祭の主催側は、パスポートで金城武を日本人と判断したが、果たして、その「紙きれ」だけで判断することができるのか疑われる。小さい頃から両親と一緒に台湾から日本にやってきたジュディ・オング (台湾出身の歌手・女優・版画家、台湾名:翁倩玉)も金城武と同じように多言語 · 文化の持ち主である。

金城武とジュディ・オング以外にブラジル生まれのサッカ―監督ラモス 瑠偉(Ramos Ruy)、日本生まれのアメリカの俳優マシ・オカ(Masi Oka)、フィンランド生まれの民主党参議院議員ツルネン・マルテイ(Martti Turunen)などの写真も学生に見せ、それぞれに、日本人か外国人かを判断してもらう。最後にアメリカの大統領オバマと私の写真を並べて学生に考えさせる。オバマの父は、アフリカのケニア人であることは承知の通りである。ハワイ大学に留学した時にロシア語教室でオバマの母と知り合って結婚したが、オバマが4歳の時に両親は離婚した。その後、オバマの母がインドネシアの留学生と再婚して一時的にインドネシアに移った。従って厳密に言えば、オバマは、アメリカ人であると同時にアフリカ人とインドネシア人でもあると言わざるを得ない。さて一体、僕は、日本人ですか?外国人ですか?

長く留学生の教育をしていると、「国」という意識がだんだん希薄になってくる。その
代わりに「地球」という考え方が増す一方である。私が担当している「地域のリソースを活かした日本文化体験授業」は、コロナの前に15カ国から53名の留学生が学んでいた。英語と日本語をわれわれの共通とし、皮膚の色、国籍、血統、名字の読み方などにこだわることなく日本文化の学習を共通目標に努力向上させている。机を並べて仲良く勉強している彼らの姿を見ると一つの小さな世界平和が見えてくる。一方、世界各地では、いまだに内戦や紛争が後を絶たないのが現状である。同じ地球上で暮らしているわれわれが、「国」という意識を持つとどうして仲良くできないのか。この「日本文化入門」の授業をモデルにすべきではないかとしばしば思う。

「日本人ですか、外国人ですか」、そんなことは、もはやそれほど重要なことではなくなってきている。地球上の皆が「国籍」という重荷を捨てて、全員が「国際人」になれば、世界平和を達成するための、一歩前進になるであろう。