歴史「を」学ぶ構えを養う

小幡 圭祐 先生

テレビで時代劇を観ていると、しばしば「ちょんまげ」をしている男性が登場してきます。「ちょんまげ」を見て皆さんはどのような思いを抱くでしょうか。「格好悪い」「あの時代には生まれなくて良かった」などと思うでしょうか。しかし、江戸時代においては、男性は成人になると月代(さかやき)(頭頂部)を剃り、「ちょんまげ」を結うのが一般的です。すなわち、男性は「ちょんまげ」を結って初めて社会から「一人前」とみなされた、ということです。そして、「ちょんまげ」が現代のように奇異な存在とみなされるようになったのが、この授業で取り上げる明治という時代です。

私たちは知らず知らずのうちに現代の常識で過去を捉えようとしがちです。しかし、それでは過去を正確に理解することはできません。それぞれの時代にはそれぞれの時代の常識があり、それを踏まえて過去を捉える必要があります。そのような常識のことを「時代背景」と呼び、私の専門としている歴史学の中でも欠かすことができない視点です。言い換えれば、歴史「に」学ぶのではなく、歴史「を」学ぶ姿勢です。

この授業の目的は、高等学校の日本史の授業で取り上げる、文学・芸術・宗教のような「高尚」な文化や、伊藤博文のような政治の場で活躍した「偉人」の営みではなく、衣・食・住などの生活に根ざした文化や、ごく普通の人々が生きた社会の動向から、明治という時代がどのような時代であったのかを把握すること、さらに、明治時代を素材として、過去の出来事を時代背景を踏まえて捉える視座を獲得することにあります。「歴史は未来を映す鏡」と良く言われますが、その「鏡」を扱うために必要な構えをこの授業で養ってみませんか。

主観を捨てる

人文社会科学部人文社会科学科 2年

山手 隼

「文明開化」という言葉を学生ならば一度は耳にしたことがあると思います。200年以上続いた鎖国をやめ、積極的に外国の学問や技術などを取り入れたことで、日本の文化は大きく変化しました。そんな中、当時生きていた人々はどのような生活をして、教科書にでてくる歴史的人物はどのようなことを考えていたのか、中学や高校では触れてこなかったことを学ぶことができるのが明治時代の文化と社会という講義です。

私は高校のとき、日本史Bを選択していたため、歴史学のこの講義を受けました。結果、知っている単語や出来事が何度もでてきて、大学入試のために必死に勉強したことが無駄ではなかったということを実感しました。では、世界史や地理を選択した人は講義を理解できないかというとそうではありません。講義を担当してくれる小幡圭祐先生は、「日本史を勉強していない人でもわかりやすい講義」を主に行ってくれます。また、講義の最初に前回の講義で学生からでた質問に一つ一つ必ず答えてくれるため、わからないことはほとんどありません。

さて、「明治時代と現代で生きづらいのはどちらか」と問われたら、皆さんはどう答えますか。「今の方が色々便利だから」や「スマートフォンがないと生きていけない」という理由で現代と答える人は少なくないと思います。

しかし、大学ではそのような主観的な考え方は評価されません。大学生には「客観的に物事を考える」という力が必要になります。その力を1年生のときから、養うことができるのがこの講義です。もし、間違えた考え方をしても小幡先生がきちんと正してくれるので大丈夫です。今後の大学生活のためにも是非この講義を受講してみてください。