外国語として日本語を学ぶとは

内海 由美子 先生

基盤共通教育の共通科目「日本語」は、留学生や日本語を母語としない学生向けに開講されている科目で、大学での生活や学習・研究で必要とされる日本語の習得を目的としています…という説明から、どんな内容をイメージしますか?日本語の文法?レポートの書き方?プレゼンテーションの仕方?どれも正解ですが、「日本語」の授業では、いかに効果的にコミュニケーションするかという観点から、日本語の使用を含む一連の行動について考えることを重視しています。

ひとつの事例について考えてみましょう。あるとき留学生が「敬語を勉強したい」と言ってきました。その理由を尋ねると「敬語が使えないから先生に失礼だと言われた」と言うのです。でもこれは変な話です。日本語のコミュニケーションでは「です・ます」を使って話していれば、言語面ではそれほど丁寧さの規範から外れることはありません。尊敬語や謙譲語が使いこなせないからと言って、失礼だと思われるとは考えにくいのです。そのときのことをさらに詳しく聞き出したところ、この留学生は、授業中、先生の話を遮って「質問があります」と言ったようなのです。

この留学生の母文化では、「質問したいときには質問しても良い」のかもしれません。日本ではどうでしょう。日本人学生のみなさんはこれまでの自分の行動を振り返ってみてください。おそらく、先生に質問しないで友達に聞く・ネットで調べる、授業が終わって先生が教室を出るところで質問する、先生が「質問はありますか」と言ったタイミングで質問するというような行動をするのではないでしょうか。つまり、日本では、質問するという行動に関して、「先生の話を遮ってまで質問するのは良くない」という前提があるのです。この前提を無視したために失礼だと思われたというわけです。

この事例から言えることは、どんなに完璧に文法を習得しても、効果的にコミュニケーションできるとは限らないということです。言語を使うことを一連の行動と捉えて周りを観察してみると、その言語の特性が発見できるかもしれません。このような視点が外国語を学ぶときには大切になってくるのです。