専門教育とは

1年生で最初にたくさんの講義を受講する基盤共通教育、他大学では教養教育と呼んだり共通教育と呼んだりしていますが、どちらにしてもみなさんが選択した学部の授業、つまり専門科目とは異なり、さまざまなテーマの授業を履修してもらいます。学生のみなさんには「なんでこのような授業を取らないといけないのか?早く専門の授業を取りたい!」と思う人もいたり「いろいろな学問分野を勉強できるのでとても楽しい」と思う人もいたりするでしょう。どちらの人も少し正しくて、少し間違っています。ここでは、私が担当している1年生最初の授業で話している、基盤共通教育の意味について説明しましょう。

まず、専門の授業とは一体なんでしょう?機械工学だったり日本史だったりさまざまな分野がありますが、行き着く目的は、それぞれの分野の学問の構造を理解することです。これは極めて重要なことなのですが、なにかの知識や解き方を暗記するのは本当の目的ではない、ということです。

もう少し言うと、それぞれの分野で論理や世界をどのような考え方や手法で解釈していて、どのように現実世界に働きかけているのかということを理解する、ということが目的です。例えば機械工学であれば機構の名前を覚えたり計算の仕方を覚えたりすることではなく、さまざまな機械や構造物をどのように分解したり統合したりして理解し、現実世界で新しい機械を構成する、というやり方を自分で理解し使えるようにすることです。もちろん大学の授業であればテストのために覚えることも必要ですし、専門用語を知っておかなければコミュニケーションができませんが、本質の部分は考え方や手法をその学問の枠組みで理解する、それを自分のものにするということです。

現代では、様々な学問分野が高度化してきたため大学4年間で学びきることができるわけではなく、修士2年、博士3年と大学院でさらに5年以上学んでようやくマスターできるような時代になってきています。それなら、やっぱり基盤共通教育など受けずにさっさと専門の勉強をした方がいいのではないか、と思う人も多いかもしれません。

新しいカリキュラム

確かにそれぞれの学問分野がどんどん高度化してきていて、学ぶべき知識が時間とともに増えていっているわけです。学ぶべき知識がそれほどない時代、変化の少ない時代にはとりあえず丸暗記でも済みましたが、膨大な知識がしかもどんどん増えている場合、どういう学びの戦略をとるべきでしょうか。

多くの大学の学部専門教育では、実は昔に比べてきちんと理解できるよう進度を落とし、教える内容を厳選しています。知識を覚えて問題を解くことによって自ずと学問の本質を理解する、という考え方から、学問の本質をまずきちんと理解して、その上で高度化した学問分野をそこから俯瞰できるような学び方に変わってきているのです。しっかりした学問の本質の理解という骨組みに知識を肉付けしていくような考え方です。

このねらいは、大学で学んだことが古くなってもきちんと本質を理解さえしていれば将来その分野の知識を付け足し、古くなった知識をそぎ落としていくことによって時代に適応していける人を育てていく、ということです。授業のテストでは理解度を確認する上でどうしても知識や解き方を覚える、という部分を省くことができないのですが、本当はそのおおもとの理解ということを大学の教員は期待しているのです。そういう意味ではペーパーテストは現代的な学びから外れてきているのかもしれません。

応用と学際

もう一つ、学際という大きなポイントがあります。つまりあることを理解したり解決したりするのに一つの学問分野ではなく複数の学問分野の手法や知識が必要になる、ということです。例えばエネルギー問題や感染症問題という非常に大きな政治的問題はもちろんそうですし、自分の地域の振興や保育所の新設といった身近な地域問題のようなものでも当てはまります。

これらの問題の特徴は、一つの学問分野だけに着目して解決しようとするとほかに問題が発生するといった、最先端の専門知識の統合が解決にどうしても必要になるということです。テレビ番組などを見ていてもわかるように、有識者と呼ばれる大学教授でも1つの専門分野を修めるのがせいぜいで、複数の学問に目配りするのは容易なことではありません。つまり1人の1つの専門分野では解決できない、ということです。これは実は旧来の問題でも同じ事が言えて、複数の専門家や非専門家がコミュニケーションを取りながら最適に近い解決策、これは全ての人が満足したり納得するわけではないですが、それでも何らかの解決策を作り上げていく、という形になります。このとき、専門家が専門知識をたくさん披露しても、他の参加者に理解できなければ問題解決のためのコミュニケーションにはなりにくいのです。重要なことは専門分野の本質を伝えることであって、ものの見方や考え方・やり方を共有することです。

専門の力

専門分野の本質的理解とは、ものの見方や考え方・手法を体得し、その上に最先端の知識を肉付けしていくことです。それは、多くの場合みなさんの職業につながっていきますし、下世話な言い方をするとそれでお金を稼げるということになります。要するに他の人に比べてみなさんの優位性が生み出され、物事を見つけたり考えたり解決したりするスタイルや態度になるということです。これは医学や工学・農学のような専門的知識が明示的な分野はもちろんそうですが、授業の最初に「この学問は世の中の役にはたちませんよ」と教授が自嘲気味に言うような分野でも、その学問の本質として物事を見つけたり考えたり解決したりするスタイルや態度をしっかり身につけることによって、社会の諸問題を発見し解決するための強力な力となってくれます。

以上に述べてきたような意味合いで、専門の学びとは他の人が真似のできない「最先端の加工工場」だったり「切れ味鋭い日本刀」だったりするのです。

専門分野以外の理解

ここまで、専門の学問分野の学びの意味について語ってきました。本当は基盤共通教育を履修する意味についてでしたよね。それではそこに入っていきましょう。

基盤共通教育は専門とは違う学びですが、ここまでの話の中で少しその中でヒントが出てきました。学際、です。世の中には自分の専門分野以外の解決する課題やそのための学問分野があって、むしろ自分の専門よりそれ以外全体の方が世界の中ではるかに大きい部分を占めている、ということは学生のみなさんもわかっていると思います。つまり自分の専門分野だけで世界の諸問題を取り扱えるわけではない、オンリーワンではないということです。そして学際とは、私たちが様々な専門家と協働して諸問題を解決する、ということでした。

でも、よく考えると、私たちは生活していく中で自分の専門分野のやり方や、それだけで不可能な場合は他の専門家と協働的に物事を解決しているでしょうか?要するに日常生活で人類最高に近い知恵を駆使しているでしょうか?ということです。おそらく朝起きてから、食事を作ったり洗濯したり掃除をしたり大学に登校したりという日常は、最先端の知識で高度に最適な選択や解決をしているわけではなく、とりあえずこんなもの、と思えるところで課題を発見し、考え、解決しているはずです。つまり、最先端の専門的知識ではなく、手持ちのあり合わせのものの見方や考え方・やり方で器用仕事のようにこなしていっているのです。

専門分野の本質が「最先端の加工工場」だったり「切れ味鋭い日本刀」だったりするとすれば、日常の課題解決は「手持ちの道具と材料をうまく使う日曜大工的な器用仕事」だと言えます。

人生のための学びを覚えるための1年生教育

実は「手持ちの道具と材料をうまく使う日曜大工的な器用仕事」が極めて重要なのは、人生のほとんど全ての時間で行っている営みだからです。24時間365日、私たちは最先端の専門的知識を駆使して生きているのではなく、衣食住や日常の様々な段取り、電車の中でお年寄りに席を譲るかどうかの迷いまで、器用仕事的に判断しているのです。そして、例えば選挙や政治で様々な公約を聞いて全てを専門的に理解することはできませんが、少しでもましな選択をするなら器用仕事的に判断していくことになります。日常の段取りだけでなく大きな課題(前に出たエネルギー問題や感染症問題もそうです)についても、私たちはなんらかの意見や判断を要求されることが多々あります。

基盤共通教育は、自分にとって専門的ではないけれども、何らかの課題発見・解決をしなくてはならない事に対して、私たちがどのように携わっていくのかを学んでいく場所として設定しています。例えば導入科目・スタートアップセミナーでは、専門分野でも必ず必要になる、どの学生も大学生として持っていてほしい共通的な知識とスキル(調査・議論・発表・論述)を身につけ、課題に対してどういう知識やスキルを組み合わせれば、ある程度納得できる解決ができるのか、ということを学ぶ場です。この授業では課題そのものの内容は交換可能(なんでもかまわない)です。ですから有利不利が出ないよう学生にとっても教員にとっても非専門だけども身近な、感じ方によっては簡単すぎる課題となっています。しかしここで学ぶ知識とスキルは、例えば「ダーク・マター探索におけるハドロンコライダーとレプトンコライダーの比較」のような呪文課題でも同様に通用します。

再掲しますが、専門分野の本質が「最先端の加工工場」だったり「切れ味鋭い日本刀」だったりするとすれば、日常の課題解決つまり基盤共通教育で学ぶスキルは「手持ちの道具と材料をうまく使う日曜大工的な器用仕事」だと言えます。そしてその器用仕事は人生のほとんど全ての時間で必要とされるスキルなのです。

器用仕事としての基盤共通教育

器用仕事的な学び方を学ぶ、というのは別に専門教育と矛盾するわけではありません。むしろ、学び方を学ぶのは、最先端の専門分野の本質、つまりものの見方や考え方・やり方をどうやって学ぶのか、と同じ事です。繰り返しますが、基盤共通教育における最も基礎的で器用仕事的なスタートアップセミナーの課題は、どの学生にとっても、そしてどの教員にとっても専門ではないような課題、そしてなるべく学生のみなさんにとっても身近な課題となるように慎重に選んでいます。ある分野の専門的な見解をただ1つ示せばその課題は解決とするなら「それってバランスが悪いなあ」と感じるようにできています。ですから、もし「大学の学びとはただ専門知識を習得・暗記することだ」という認識であれば、スタートアップセミナーや基盤共通教育は意味のないものに思えるでしょうし退屈な時間となるでしょう。

ここまでをまとめると、専門教育は「理想と職業を究める学び」、基盤共通教育は「人生と生活を良く生きる学び」とでも言えるでしょうか。

イノベーション

ここまでは大学教育の理想、という体裁で解説してきました。ここからは大学教育の現実、身も蓋もないことをいえば、なぜ基盤共通教育が必修なのか?という話をしていきます。

イノベーションという言葉を聞いたことがあるでしょうか。なんとなく画期的な発明、くらいなイメージがあるかもしれませんが、もっと広い意味で「革新」というべきものです。ライフスタイルや社会を変えてしまうくらいのスマートフォンのようなイノベーションもあれば、仕事や勉強がしやすいよう本や書類の置き場を少し変えたり、処理の順番を調節したりといった小さなイノベーションもあります。ただ、イノベーションはその分野の中で閉じているわけではなく、違う分野のものの見方や考え方・やり方を組み込むことによって生まれるのだと思います。

例を出したいのですが、私は素粒子物理学者なので物理学での話をします。10年ほど前、2008年にノーベル物理学賞を受賞した南部陽一郎は、その受賞理由の一つである真空の相転移という概念を1961年に考えつきました。水が氷や水蒸気になるように、何もないはずの真空の性質がエネルギーによって急に変わってしまうという理論です。水や氷のような物性と素粒子は同じ物理の中でも極めて違う分野ですが、今では真空の相転移は素粒子の基礎理論であり宇宙創成の秘密のカギとなっています。また、債券や株式のデリバティブ(住宅ローンとか先物など)の値段を理論的に導出するブラック・ショールズ方程式は、物理学の熱伝導から着想を得て理論化され、やはりノーベル経済学賞を受賞しています。さきほどスマートフォンの話がでましたが、Apple社の元CEOのスティーブ・ジョブズの「点と点をつなげる」というスピーチも、なぜApple社の製品は文字が美しいのかという理由を説明しています。

よく生きること

もうひとつの側面は、人間としてよく生きる、ということです。人間と人間以外の生物、動物や植物などとを分ける特徴として、例えば言葉を使うとか、道具を使うとか、火を使うとか、いろいろな見方があります。大学教員として言うなら、人間らしく生きるとは、人類という種が生まれてから現在まで蓄積された知恵にどの個人も接し、個体に閉じることなく人類全体、世界全体のことに思いをはせられる、ということだと思っています。

もちろん、忘れられ失われた知恵はたくさんありますし、一本調子に正しい知恵に向けて歩んでいるわけではなく、らせん階段を上がるかのように間違いを繰り返しながら回り回っているというのが、人類の歩みです。現在の自分の知識と考えに固執するのではなく、過去の人々や同時代の人々のものの見方や考え方を知ること、これから何が起きてきてどのように対応したり適応したりしていくのか知恵を絞るといったことは、人間にだけ許されている能力でしょう。私たちは、私たち個人、そして私たちをとりまく世界と社会に配慮する、そのように生きていくことが、人間以外の生物にはできない、人間としてよく生きることでしょう。

必修化の意味

日常生活を手持ちの知識やスキルを使って器用仕事的に解決する、という小さなところから、ものの見方や考え方・やり方をどうやって吸収するのかといったメタレベルの学び、さまざまな知識やスキルを組み合わせたイノベーションを生み出す、さまざまな知恵に接し自分や世界・社会に配慮する、といった基盤共通教育の目的について語ってきました。しかし私たちは往々にしてそういう知恵や学びについて知らなければ自ら触れていくこともありませんし、知っていても興味がないと切り捨てることもあるでしょう。興味のない本やYoutubeのチャンネルなど見る気にならない、存在しないのと同じことです。

ですから基盤共通教育は、みなさんが「興味がない」「こんなことに意味がない」と思っているようなことを、いやそう思っているからこそ無理に必修化して触れてもらい勉強してもらっています。当然ですが、大学教育の最先端という観点から、このような授業、あのような学びがみなさんの4年間の大学生活だけでなく、社会や人生を生きていく上で必ず糧になるような教育内容に厳選しています。ですから「役に立たない」とみなさんが感じるようなら、私たちのやり方はむしろ正解だと思いますし、つまらないと思う中に楽しみを見つけてもらいたいのです。もし、興味を持てる授業や学問、ものの見方・考え方を見つけることができたら、きっと未来のみなさんは山形大学での学生生活に、肯定的な評価をしてくれることでしょう。

その上で、基盤専門教育・基盤共通教育ともに、面白い、やりたいと思うことは自律的に目標を立ててどんどん先に進んでください。