「教養坂」は単なる忌々しき坂にあらず

小幡 圭祐 先生

山形大学に入学した全ての1年生が最初に挑むことになるであろう関門が、小白川キャンパスの正門を入って基盤教育棟に向かう間に出くわす、やや勾配のきつい坂である。新入生が1・2校時の基幹科目に向かう際には朝っぱらにも関わらず小運動を強制され、冬には路面をツルツルに凍結させて登り下りする者を恐怖のどん底に突き落とす。入学早々、新入生の皆さんはこの坂の忌々しさに手を(足を?)煩わし、キャンパス移動・卒業の後も、山形大学の苦々しい思い出として深く心に刻むことになるだろう。

ところで、かつて山形大学の理事・副学長をつとめた花輪公雄は、なぜ小白川キャンパスにこのような坂があるのか?という謎の解明に挑戦している。花輪は、この坂が「教養坂」と呼ばれていること、当初は河岸段丘であると考えていたが、地理学・地形学を専門とする八木浩司名誉教授に確認したところ、そうではなく、山形大学の前身の一つである旧制山形高等学校時代に整地をした結果であるという話を突き止めた(花輪公雄『がっさん通信―四方を山に囲まれた山形大学発―』山形大学出版会、2024年)。

しかし、である。実は「教養坂」と呼ばれるこの坂には、歴とした正式名称が存在している。そして、坂が設けられたことにも重要な意図が存在していたのである。それらを知る鍵は、山形大学の歴史に隠されている。山形大学の要職にあった花輪ですら解けなかったこの難問を、この授業が華麗に解きほぐすであろう。そして、この授業を履修し終えた頃には、苦々しくなる予定であった皆さんの思い出も、山形大学に入学して良かったという誇らしい思い出に変わっていることだろう。

山形大学の歴史を学びたいですっ!

人文社会科学部

飯川 幸太郎

問題「山形、山形大学の歴史をどれくらい知っていますか?山形大学はなぜ4つのキャンパスに分かれているのでしょうか?山大と周辺地域にはどのようなかかわりがありますか?山大のすばらしさを実際に通う学生として話すことはできますか?これらを147字以上で書きなさい。」

Yさん「よくわからないし、素晴らしさなんてなおさらだよ。ていうかなんで147字?」

ー 受講した学生はこの問いにすぐ答えることができます。なぜなら彼らには山大への深い知識と愛があり、真に山大と一体化できるからです。そして誰も147字ぴったりの文章は書きません、いや書けません。なぜなら彼らが、これまで先人たちによって築き上げられた147年のその先、つまり148年史、149年史、150年史…XXX年史を作り上げる主体になるからです。

「山形大学を知っているか?山形大学のここがすごい!小白川、飯田、米沢、鶴岡の4つのキャンパスで幅広い学問が学べるんだよっ!~♪」この段階で終わるのは非常にもったいないのです。

 「地域とともに歩んだ山形大学147年史(歴史学)」。この授業では山形大学の歴史を戦前の教育システム、山形の政治を絡めつつ、山形大学の前身となった学校でのドラマを知り、現在の山形大学を知ることができます。山形大学について熟知している豪華教授陣が授業を展開し、時にはゆかりのある同窓生の方からの講演もあり、毎回とても充実した内容です。この文章の一番初めに示した問題を解いてみましょう。今最も熱い、山形大学の歴史の最前線、これが
この授業の真の姿です。